rh日和(仮)

モノ、ゲーム、PCなどについてのブログ。

自由連想でゴー

壁から紫色の無脊椎動物が浸みだしてきて、ズズズッ、ズズズッと僕の方めがけて這ってくる。なるほど、これが乗法の正しい適用法というべきものか。うさぎはいつだって垂直面に沿って、タップダンスを踊る。もうここには無くなってしまったはずのものを追いかける。

音楽。音。メロディ。地の底から響いてくるのは、なんだろう、地図を持ちすぎて両手がいっぱいだ。びりっ、びりっと、引き剥がす。凍った鉄に愛の呪いが降りかかる。マシンガンのごとし。轡とはなんだろう。靴の、輪?彷徨のしすぎでしょうに。

身から出たさび。毛糸で編んだように、世界の束が一つの模様を浮かび上がらせる。本当の中にある小籠包。液体の立法府。つくねにはつくねの、ジャンパーにはジャンパーの、それぞれの行動規範というものがあって、全てはうっちゃりの練習に費やされる。眼鏡の広告機構。グラップル。

記憶の中でワルツを踊る。その足捌きに見とれていると、すぐに雪だるまがやってきて、カレンダーをめくる。タッタッタ、タッタッタ、めくる。めくる。何もない空間から、ビジョン的概念の、カレンダーをめくる。フラフープに興じる。魔神にも聞かせてあげて。

なるほど、確かに無意識はそう特別な物では無いかもしれない。むしろ、意識は無意識を求め、無意識は意識という名の秩序を形成しようとするのではないだろうか。それでも、全てを疑うことは出来ない。マッシュルーム的には、全てが許されている。無意味が立ち上げる意味。

本当に本当のこころは、こんな風に統一性や一貫性を嫌ったりするときもある。ものごとの統一性は自明の物では無いし、人間の一貫性も容易に揺らぎうるものだ。