rh日和(仮)

モノ、ゲーム、PCなどについてのブログ。

たたらを踏んでたらららん

なにげにセンシティブ、エモーショナルな感じになってしまうのはなんでか。私は何者だ。徳光和夫か。

などという問いは虚空にかき消えてゆくのであった。まる。

とそんな詮ないことを言っていても仕方ない。私は今日も不安。実存的に不安。クールな視点で己を見つめるほどに不安が増大してゆくの。

だってそうでしょう。現に私の人間的能力は持続的に散逸しているのだから。お米が金に変わっていく世界。パラダイスライス。

べっつにあたしとしてはそれも構わん。だけれどだけど、なんか悲しい。やる瀬ない。末恐ろしい。のはなんで?なんでなの?チャーハンが美味しいから?

いずれ万物が消え去るとしたら、私の存在はなんでありましょう。この東京砂漠。プロポーザル。

そう。純粋に恐ろしいことは、このまま負のスパイラルに陥って、堕落の連鎖にばまりこんで、やがてこの世界全体がダメダメのぐずぐずのおポンチになってしまうのではないかってことだったりして。

たといこの瞬間に僕が「そうだ、京都に行こう」のノリで自分をより良い方向に修正しようとしても、そうそう簡単に上手くゆくとは限らない。なぜって、この時代に、どっちが良い方向であるかなんて誰にもわかりはしないのだから。

それでも人は少しでも明日を良くしていこう、と、風呂上りの一瞬に決意しながら、あとの細々した塵のような時間を積み重ねている。

そんな時間たちっていったいなんのためのものでありますか?もっと大局的視点で世界を感じたい。でもその大局が存在しないことこそ現代の病理であると、偉い先生が仰っている。私は常にミツカン酢を飲む。