思考だだ漏れノートG

モノ、ゲーム、PCなどについてのブログ。

因果の構え

 あらゆるものには因果、すなわち原因と結果があり、それらを見極めるべし、とすげえ昔にお釈迦様というエライ人が仰っていた、という話をかつて物の本で読んだ。それは俺が。

 なるほどなぁ、と思ったが、お釈迦様のような偉大な方ならいざ知らず、一般ピープルであるところの僕に、原因と結果全てを知ることなんて出来やしない。

 にもかかわらず、僕はものごと「原因と結果」で説明しようとする。頭が悪いから理解出来ない、とか、スタイルが悪いから服が似合わない、とか。首相が無能だから国が傾いた、とか、面白いからMADを歌ってみた、とか。

 かつて不細工だからモテない、とブログに書いて刃物を振り回した人がいたが、あれこそまさに「原因と結果」の語法だろう。

 なぜ人は「原因と結果」で考えたがるのか。どうやらニュートンさんやソクラテスさんの時代から「原因と結果」にこだわっていたらしいので、その起源について考えていても仕方ないのだろう。そもそも起源という言葉は原因という言葉にすごく似ている。

 で、なぜそんな話をしたかというと、自分自身について考えるとき、この「原因と結果」っていう考え方がどうしても関わってくるんじゃないかと思う。

 なぜ自分がこういう人間なのか、あるいは、なぜ自分があんな行動をしたのか。

 そういう問いを僕は無意識に立ててしまう。そしてその答え、つまり原因を探してしまう。

 そんな時、僕は多大な労力を費やさなければならない。

 もっとしんどいのは、自分で自分を他人に対して説明しなければならないときで、その際も当然「原因と結果」で語らなかればならず、非常に苦しくなってしまう。

 なぜだろう。なんでだろう。と考えている時点でもうすでにその網のようなものにこんがらがってしまっているような、そんな感覚。