rh日和(仮)

モノ、ゲーム、PCなどについてのブログ。

ちゃんとした文章を書くということ

ブログを書いていていいリアクションを貰えるとうれしい。というか褒められて喜ばない人間などいない。当たり前だ。
ブログを書いていいリアクションを貰うためには、読み手に対する配慮が必要だ。一般的には。
もちろん、なにごとにも例外はある。思いつきをそのまま並べただけの記事が偶然評価されることもある。より正確に言えばそういう状況を指して「偶然」と呼ぶ。
でも、やっぱり思いつきで作られた記事・書かれた文章には一種の限界のようなものがあると思う。
(ここまで書いて読み返してみたけど、ずいぶん偉そうなことを書いている。別に僕は文章論とかブログ論とかを書きたいんじゃない。ただ思ったことをちゃんとした文章にしたいと思っただけで。)
で、思いつきの文章に限界が生じるのはなぜかというと、まぁ当たり前のことなんだけど、「読んだ人がよくわからないから」だと思う。ムツカシイ言葉で言うと「文脈の共有がなされてないから」とでもなるだろうか。
例えば僕が今ここに「このブログは僕のブログです」と書く。
読んだ人は「なに当たり前のこといってんの?」と思うだろう。でもそう思えるのは読んだ人が「このブログは僕のブログです」という文章をちゃんと理解しているからだ(理解、というのは日常的な用法で)。
でも、僕が突然「ビーフストロガノフは三丁目でポン菓子を島流しにしています」と書いたらどうだろう。
読んでいる人は全然理解できない。僕も全然理解できない。当然だ。だってただ思いついた単語を並べただけだから。
つまり「このブログ〜」というのは読み手に配慮した文章で、「ビーフストロガノフ〜」思いつきのみで書かれた文章ということになる。
これが思いつきで書かれた文章の限界だと思う(数行にわたって本当に当たり前のことを書いてしまって申し訳ない。これを読んでる人がいればだけど)。
ただ難しいのは、時として「ビーフストロガノフ〜」の文章の方がおもしろかったりするということだ。むしろ僕としてはそういう文章が好きだったりする。


話が思っていたより長くなってしまったが、つまり僕が何を言いたいかというと、
思いついたことをただ書くだけではなく、それを読み手に配慮した、ちゃんとした文章に作り上げる努力が必要。でも、あまり配慮しすぎると逆に文章がおもしろくなくなっちゃったりするかもしれない。
ということ。
で、さっそくその思いついたことをこんな風に「ちゃんと」書いてみたら、日記なのに思っていたより長くなってしまった。まぁいいや。