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群像2011年5月号 日本文学盛衰史 戦後文学篇〔17〕  高橋源一郎

群像 2011年 05月号 [雑誌]

群像 2011年 05月号 [雑誌]

高橋源一郎の連載を読む。こないだ読んだ「文学なんかこわくない」と同じく、虚構化された高橋源一郎らしき「タカハシさん」が主人公。この連載通してそうなのかは知らない。
前半は、おそらく高橋源一郎本人の震災体験そのままだろう。息子の保育園の卒園式直後、東京の自宅で東日本大震災の揺れに見舞われる。
その後タカハシさんは「時震」のようなものを感じる。この地震の影響で、なにかが決定的に変わってしまったと感じる。
また、この地震はあの戦争に似ているとも感じる。しかし違うところもある。地震や津波による被害はあれから復興に向かっているし、原発問題は依然として解決の兆しがない。
その後、「メイジガクイン大学」の卒業式の日。結局卒業式は中止になったが、卒業生達は学校に集まっていた。順番に「祝辞のようなもの」を述べていく教授たち。
順番が回ってきたタカハシさんは言う。「今この国は正しさが溢れている。正しさが圧力となって我々を不自由にしている。不正に抵抗するのは簡単だが、正しさにあらがうのは難しい」と。


確かに、震災を機にいろいろなことが変わってしまったのは誰もが感じているだろう。東浩紀はニコニコ生放送で「ツイッターが変わってしまった」というようなことを言っていた。
例えば「自粛」の問題は、最もわかりやすい変化の一つだろう。どこからともなくやってくる「不謹慎だ」という匿名の声は、実際に無くても我々の内部に内面化されている。
震災がもたらしたのは目に見える被害(目に見えない放射線も含めて)だけではない。震災は、日本人の「言葉」を決定的に変えてしまった。あらゆる言説は、震災後のものとして書かれるし、読まれる。
それは本来すげー重大なことだ。でもほとんどの人はそんなことを考えない。そして文学者達はそのことを懸命に考えるのだろう。