自分。動物。例える。この三つのキーワードから成立する問いに答えねばなりません。ねばならない訳では無いですが。
自分。それは自分です。すなわちこの日記を書いている主体の事。
動物。アニマル。けだもの、畜生とも呼ぶ。
例える。それはすなわち、ある事物が持つ性質を任意に抽出し、同様な性質を持つ事物を提示する事。
さて、自分を動物に例えるというのは果たして良い事なのでしょうか?
もしあなたが通りすがりのおっさんに
「あなたは動物のようですね」
と言われたらどう思うでしょう。
ムカつく。腹が立つ。このおっさんをぼてくりまわしたいと思うハズ。怒りに支配されたあなたの姿は動物のようにキュートでクレイジーかもしれませんが、それは本題とは関係ありません。ちなみに「ぼてくりまわす」とは博多弁で暴力を加える事を意味しますが、それも本題とは関係ありません。
何故あなたがムカつくかというと、それはあなたが動物を、自分より格下の存在・概念であると、無意識下で意識しているからに違いありません。つまりバカにしているんですね。
でもでも、もしかするとあなたは、
「私は、自分を動物にたとえる事により、動物という物をより身近に感じようとしているのです。他を蔑むような卑しい心は持ち合わせておりませぬ。あなたとは違うんです。」
とおっしゃるかもしれなません。あれ、この日記、誰に対して書いてるのかわかんなくなってきた。まぁいいや。
しかし、人間というものは、決して自分より格上の者を自分に引き寄せて考えたりはしません。自分より下だと思うからこそ、その存在を許すのです。可愛い女の子がブスと行動を共にするのはその為です。
ちなみに、人間が格上の者に近づこうとするのは、何らかの利益を得るため取り入っているのです。ブスが可愛い女の子と行動を共にするのはその為です。
では、なぜ人間は自分より格下の者を己に引き寄せようとするか。もうおわかりですね、それは自分の優位を確認して安心したいからです。つまり、自分を動物にたとえる事で、己が万物の霊長たる人間であるという事を確認しているのです。異論は認めません。
そしてそれは極めて人間的な行為であると言えます。なぜなら、そうやって自分のポジションを確認するのは、人間が自意識という物を持っているからです。
というわけで、私もそのような人間的行為に参加したいと思います。なるべく優れた動物である方がよいでしょう。
私はライオンのように勇敢で、ゾウのように力強く、クジャクのように優雅、フクロウのように明晰、そしてそれら全ての動物よりも優れた人間です。
そして私がこんな風に自画自賛するのは、偏に己の虚栄心による物です。本当の私はゴミムシのような人間です。小型で、地上を歩き回って昆虫やカタツムリなどの小動物を捕食するが、新鮮な死肉も摂食します。(Wikipediaより引用)
と、ここまで書いて、そこまで卑下する事はないんじゃないかと思った私もいて。私の中に、私がいっぱい。そんな秋。