rh日和(仮)

モノ、ゲーム、PCなどについてのブログ。

スモーピオン

思った事をそのまま書けば、本当のことを正直に書けば、必ず誰かが共感してくれるんだろうか。そうでもないんだろうか。そんな風に世の中は出来ていないように思える。

私が読んでリアクションするようなブログは、何らかのおもしろさ、大衆の耳目を集める要素を持っている。ゲームとか、社会問題とか、ライフハックとか。

でも私が書くのは、書いているのは、自分のことだけだ。私に興味を持っている人間でなければ、面白いと感じるはずがない。

でもでも、私は自分の思ったこと感じたことを書きたい。そしてそれを他の人に読んでもらいたい。

なれ合いたい。なれ合いですら今の私には遠い。心の孤独。砂嵐が吹く。

例えば私が私を全てここで公表したら。誰かが興味を持ってくれるだろうか。いや。

そこまでしたくないと思うのは甘えなのか。でもプライヴァシーが必要なのは当たり前の事なんじゃないか。

疑問が千も万も湧いてくる。尽きることがない。

私はどうすべきなのか?どうすべきかを決めるべきなのか?何かを自分の意志で決めることがそんなに大事なのか?空の鍋には何が、一体何が詰まっているのか?

自分の意志ってなんだ?

宇宙はこんなにも広いのに、私がこんなに苦しいのはなぜだ?いっそフランスパンでも食べてしまいたい。テレビを見ないと季節感が無い。

ネットがあれば理論上誰とでもつながることが出来るはずなのに私がこんな、こんな深い井戸の底に一人でいるような気分になるのはなぜだ。なぜなんだ。誰も教えてくれない。誰にもわからない。自分で考えねばならない。自分にすら永久にわからない。

この世界の何もかもが、私に与する為に生まれたわけではない。全てはてんでばらばらに、勝手気ままに、生まれそして死んでゆくのだ。

いつか何かになれるのか。一生一人で生きるのか。この心は、命を燃やせるのか。駄文を書かなくても済む日々が来るのか。

遅すぎるんじゃないか。もっと若いうちから何かを継続的にやっているべきなんじゃないか。誰も教えてくれなかった。私が大学に入ってからこんなに読書にはまるなんてことは。本の中に真実を見出すようになるとは。

真実を見ていたい。それは私の欲求。魂かなにかの欲求。それにしても。

そうして狭い世界の真実と向き合っていてなんになる?何が得られる?バームクーヘンの渦巻きの行き先を、誰が知っているというのだ。それくらいの不可思議だ。存在の神秘だ。

私が存在することは罪なのか、こうして息をしていることが何かを脅かしたりするんだろうか、呼吸をするより他ないじゃないか、だって私はひまわりではないから。

嘘を吐くのは良くないことで、本当のことを言うのが悪いならば、私は本当のことを言って滅びるだろう。宿命的に。

本当に私は何かをこう、作り上げてしまいたい、積み重ねて一廉のものにしてしまいたい、それは文筆によって。最も私は筆を用いないけれども、なにかこう、文のパワーのみで全てひっくり返して全肯定してしまえるような、そんな何かがこの世界に存在して、自分もそれになれたらいい。なっちまえれば他に何も要らないし自分などそのパワーの淀みのドロドロに溶けて混じって一緒くたになって小さな粒々になって消えてしまっても何ら構わない。それくらい素晴らしいことってこの世にあるだろうか。

そんなめくるめく妄想をしてる私は変態以上の変態なのか?感じちゃってどうすればいいの?このままゴー、でしょ。