シン・ゴジラを観てきた。観てきたので感想を言いたい。ネタバレありで。
しかしこの映画についてのネット上のレビューを見ると、絶賛か批判しか無く、少し不自由な感じがするなぁ、と思う。思うと同時に、そんなネットのレビューを気にしている時点で自分も同じ穴のムジナなのかもしれない、とも思う。と、自意識過剰になってしまうこと自体が、庵野作品の魔力なのかもしれない。
そもそも僕は庵野秀明の作品全般をあまり好きではない。どちらかと言えば、嫌い、と言ったほうが近いかもしれない。だから自分から積極的に観たことは一度もない。
しかしだからといって庵野作品に否定的かというとそうでもない。なにかの機会に見るたびに、スゴい作品作っているなぁと感じるし、世間的に評価が高いことにも納得している。
なぜそんなアンビバレントな感情を抱いているのか。自分でもよくわからない。
ひとつ考えられるのが、世間的な評価が高過ぎること、あるいは毀誉褒貶が激しすぎることが気に入らないのかもしれない。
ひとつの作品に対して、熱狂的なファンおよびアンチが右往左往する。解釈を巡って激論を交わす。なんか気持ち悪い、っていうか。
ちなみにこの「気持ち悪い」は例の有名なセリフのパロディというわけではなく、あくまでも自分の中から自然に出てきたものだ。だってそのセリフがどのシーンのどんなシチュエーションで出てきたのか知らないし。って説明するのメンドイな。だったら最初から書かなければええやん。
もっと有り体に言ってしまえば、自分がひねくれ者であるために世間で人気のものが気に入らない、というだけの話かもしれず、もしそうだとすればずいぶんと子供じみた理由だと思う。
もうひとつは、なんとなく空気感、というか、ムード、というか、そういったようなものが生理的に受け付けないんじゃないか、という極めて曖昧なもの。
でも曖昧過ぎてウソっぽい。理屈っぽい理由付けにすぎないような、そんな気がする。
「シン・ゴジラ」の話をしよう。
結論から言えば、他の庵野作品と同じような感想を抱いた。すなわち「面白いけどなんか嫌い」。
特に印象的だったのが、昨今の震災や原発事故、そして社会事象全般を積極的に取り入れているということ。「御用学者」だとか「マイクロシーベルト」だとかいったワードが、さり気なさを装うこともなく、むしろわざとらしく、しかもテンポよく挿入される。
官邸前(だったかどうか覚えてないが)で行われるデモなどは、こんな時にデモするやつがいるのか? と多少の違和感があったが、あくまでも社会事象を貪欲に映画に取り入れようという製作者の意志が徹底されている、という意味ではむしろ自然に感じられた。
また、画面に新しく人物が登場するたびに、その人の役職がどんどん画面に表示されるのだが、あまりにもその役職名が長く複雑であり、表示時間も短いため、とても目で追いきれなかった。これも明らかに意図的な演出だろう。
日本における肩書というものを(文学理論で言うところの)異化するためだろうか、あるいはバシバシ文字を表示させることでグルーヴ感を生むためか。いずれにせよ面白い演出だと感じた。
ゴジラの造形の素晴らしさもさすがといったところ。長年「使徒」を作り続けてきた庵野監督と、特撮に定評がある樋口監督が組んだだけはある。
生物的なリアリティと、非生物的なグロテスクさを併せ持った姿は、一度見たら忘れられないインパクト。悪夢に出てきそうなイヤさがある。
個人的には「第二形態のヒレ?の部分の赤い所がちょっと美味しそうだな」と思ったが、多分僕だけだろう。顔、キモいし。
映画内における社会批評ともとれる描写に関しても、非常にバランスが良いと感じた。
日米安保という縛りや、根回しが全ての官僚の世界をエンタメ作品でここまで描くというのは純粋にスゴい。
しかし「まだまだ日本は捨てたもんじゃない(うろ覚え)」というようなセリフに惑わされて、この映画をただの日本礼賛映画だと見るのは早計だろう。
映画第一作目のゴジラは戦争・原爆の露骨なメタファーだったわけだが、今作でもその路線は徹底されている。
今作のゴジラは核兵器・震災・災害のメタファーであると同時に、「無限のエネルギーをもたらしうるもの」としても描かれる。原子力が持つ二面性を表していることは明らかである。
そのゴジラが、映画の最後では凍結されたまま東京のど真ん中に残される。その姿をバックに将来のことについて語り合う主役級の二人はあまりにのんき。死者への弔いを捧げるシーンもない。
そして不穏なラストシーン。自分はこのラストの展開に、過去を振り返らず問題を先送りにする日本のことなかれ主義が反映されていたように思うのだが、どうだろうか。
と、ここまで褒めることを書いてきたが、じゃあなにが嫌いなのかというと、やっぱり自分でもよくわからないのだが、見ている時の自分のテンションは最初から最後までそんなに上がらないままだった。
いや、わかってる。特撮好きの人とか、エヴァ好きの人にとっては、たまらない興奮シーンがたくさんあって、だからこそ人気を博しているのだということは。
あくまでも、個人的に、琴線に触れないというか、周波数が合わないというか、とにかくそんな感じなのであって、この映画自体がダメだと言いたいわけじゃない。
今回のシン・ゴジラを観て、庵野作品が苦手というより、庵野作品に出てくる人間が苦手なのかもしれない、と感じた。
自分は、渋くて度量が広くてユーモアもあってなおかつ哀愁を感じさせる、みたいな、一言で言えば「大人な」キャラが好きなのだが、どうもこの映画にはやたらと怒る人ややたらと早口でまくし立てる人ばかりが出てきて、あまり渋味のあるキャラが登場せず、感情移入できなかった気がする。もしかしたら他の作品にはそういうキャラがいるのかもしれないけど。
もちろんこの映画がヒーローものではないということはわかっているし、そもそもキャラに感情移入することに重きを置いた映画でないこともわかっている。単純に自分に合わない部分があったというだけのことなのだろう。あるいは「大人なき世界」を描いているという点で現代的ですらあるのかもしれない。
それと、そもそも見る前の期待度が低すぎるのが原因なのかもしれない、とも思った。「どうせ自分には合わないだろうな」的な。でもハッキリした原因はやっぱりよくわからないままだ。
とはいえこの映画、きっと10年後にも僕の記憶にしっかりと残っているのではないかと思う。それくらいのインパクトがある映画だということはハッキリ言っておきたい。もちろん今も残っている。
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