rh日和(仮)

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『Undertale』と『DELTARUNE』における「悪と暴力」というテーマの関連性について

 『DELTARUNE』をプレイした。『Undertale』の作者である「Toby Fox」の最新作。PC用ゲームとして10月31日に突然無料公開された。

 さっそくブログに感想を書こうと思った時に、本作とUndertaleのテーマについてちょっとマジメに考えてみたくなったので、そのへんのことを書いてみる。以下、両作のネタバレありで。

UNDERTALE - PS4 (【永久封入特典】ストーリーブックレット 同梱)

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 DELTARUNEにはスージィという不良の女の子モンスターが登場する。冒頭で彼女は主人公を食い殺そうと脅しをかけてくる。結局それはただの脅しに過ぎなかったわけだが、BGMやSEなどによってホラー的な演出がなされる。なぜそんな恐怖演出が冒頭で挿入されたのか。


 前作Undertaleで最初に出会うキャラクターはしゃべる花のフラウィー。彼が遺跡の中で語るのは、この世界が暴力で満ち溢れ、弱肉強食だということ。そして絶対的な悪に出会ったとしたら、滅ぼすか滅ぼされるかしかないということ。
そこでもホラー演出が入る。まず恐怖でプレイヤーの心を引きつける、というのが作者が好む手法なのだろう

 Undertaleのその後の展開はプレイヤーの選択によって大きく変わる。主人公は色々な敵と出会うが、選択次第でほぼ全ての敵と和解することができる。それは登場するキャラクターがみな本質的には善人、というか善いモンスターだったからだ。


 DELTARUNEにはスージィの他に味方キャラクターとして闇の世界の王子ラルセイが登場する。ラルセイは平和主義者でスージィと対局的な思想を持っている。この二人の和解も本作のストーリーの柱となる。二人に挟まれる無口な主人公はさながらプレイヤーの分身と言える。

 敵を1体も倒さずにDELTARUNEのラスボスを倒すと、主人公と仲良くなった兵士たちが悪い王を捕えて終わり、というハッピーエンドになる。そして暴力主義のスージィと平和主義のラルセイも和解をする。

 ラルセイは「この世界はやさしさだけじゃ勝てないこともある」と語る。これに対しスージィが「現実は複雑で、戦うだけでは大切な人を傷つけてしまうかもしれない」と返す。2人の和解と、2つの思想の統合を端的に表現した素晴らしいセリフ回しと言える。また現実の複雑さをそのまま受け入れる態度はとても大人的な成熟したものだ。

 しかしフラウィが投げかけたような、悪と暴力についての問題への根本的な回答にはなっていない。真の悪は存在するのか、もし存在するとすれば、暴力を用いて悪と戦わなければならないのか、暴力を用いることで自分自身も悪になってしまうのではないか、という問題。

 そしてラルセイのセリフはUndertaleにおけるフラウィのセリフと通底している。彼の英語名をアナグラムすると「アズリエル」になる。エンディングで明かされる彼の真の姿もアズリエルにそっくり。そしてアズリエルはフラウィとの関わりが非常に深い。前作のプレイヤーであれば、間違いなく意図されたその一致に、なにか不穏なものを感じるざをえない。


 現代社会においては、何事も話し合いで解決するのが正しいとされている。と同時に、法律を破るような悪に対しては、公権力という(学問的な意味での)暴力が用いられているし、世界中で戦争は起こり続けている。キレイごとで全てが済まされるわけではない。

 個人的な印象としては、プレイヤーの選択次第で全ての敵と和解することができるUndertaleに対して「甘すぎる」といったような批判があり、作者は続編のDELTARUNEでそれに対しての回答しようとしているのではないか、と感じた。

 実質的な体験版としてチャプター1のみが配信されたDELTARUNE。チャプター2以降ではさらに悪と暴力の問題が掘り下げられていくのだろうか。