rh日和(仮)

モノ、ゲーム、PCなどについてのブログ。

『デス・ストランディング』をプレイして「よくわからなさ」を噛みしめた話

 『デス・ストランディング』をプレイし始めた。 

【PS4】DEATH STRANDING

【PS4】DEATH STRANDING

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: ソニー・インタラクティブエンタテインメント
  • 発売日: 2019/11/08
  • メディア: Video Game
 

 

 小島秀夫作品大好き人間としては、いずれ絶対にプレイするつもりだった。でも最速で飛びつくのはなんか信者っぽくて逆に良くないんじゃないか、なんてことを思ってしばらく様子見していた。他に終わらせたいゲームがあったのと、そのついでにセール待ちしてたのもある。一人用のゲームは逃げないからいい。

 遊ぶ前から強い思い入れのある作品に対して、一体どんな感想を書けば良いのか、正直言って頭を抱えている。ゲーム内容について書くのも今さらだし、ネタバレはしたくないし、そもそもストーリーもゲーム性も説明するのがかなり難しいし。でもまぁそこは気楽にやっていこう。


 デス・ストランディングの最初のプロモーションビデオを観たとき、どんな内容のゲームなのかまるでわからなかった。

 その「なんだかわからない状態」は発売直前まで続いた。なんとなくおぼろげにわかったのは、主人公が物を運ぶゲームだということだけだった。

 そして実際にゲームをプレイした現在。操作方法やゲームの進め方はある程度理解できてきた。じゃなきゃゲーム進められないから当たり前ではあるんだけども。

 しかしストーリーや世界観の部分に関しては、今もって謎だらけだ。ただ、ゲームを進めるに連れて徐々に謎が明かされていくんだろうな、という予感があるだけで。

 

 端的に、あるいは無粋な言い方をしてしまえば、デス・ストランディングの世界観はSFだ。それもかなり難解で非現実性の強いSFである。世界全体の物理法則が変わってしまったレベルの。

 しかもその世界観を丁寧に説明するのではなく、まずプレイヤーに映像でドーンと見せつけ、そこから少しずつ少しずつ言葉で説明していく手法をとっている。だからプレイヤーは自力で世界の謎を読み解かねばならない。

 同じような手法は映画や小説など様々な媒体で前例があると思うが、受け取り手を選びかねないなかなか大胆な手法だ。それをゲーム化までこぎつけることができたのは小島秀夫のこれまでの実績あってのことであり、必ずついてきてくれるプレイヤーがいると作り手側が信じることができたからだろう。

 

 ではどうして小島秀夫は、いきなりよくわからない世界観をプレイヤーにぶつける手法をとったのだろうか。

 「ただ描きたかったから」という単純な理由ではないはずだ。個人的な想像の世界で遊ぶタイプの作り手でないことは、彼の過去作が証明している。

 先に結論を申し上げれば、それは僕らが生きているこの現実世界が「よくわからないもの」になっているから、ではないかと考えている。

 より詳しく言うと「インターネットを中心に回っているこの世界に、人間の心はまだ追いついていない」という現実世界の問題を描きたかったのではないだろうか。

 誰でもインターネットと簡単に繋がれるようになり、いつでもどこでも情報交換が可能になった。でも人と人は繋がるどころか、むしろ新たな断絶が生まれてしまっている。

 一体何が正しくて何が間違っているのか、だれにもわからないまま、ネットによって増幅された曖昧な「民意」のようなものが、曖昧に人を貶め傷つけたり、また逆に人気者を生み出したりもする。

 そんな世界に生きる人々の不安を、ハードなSF世界に移し替えるて表現したのではないか。と。

 

 プレイヤーは主人公のサムを操作しながら、目的も理由も、善も悪も不確かな世界の中を、荷物を背負って歩き続ける。

 確かなものがあるとすれば、それはサムが運んだ荷物を受け取った人の感謝(いいね)。あるいは自分が残した痕跡を辿った他のプレイヤーが送る感謝(いいね)。そこにネット時代の新たな倫理の萌芽を見出せる。

 どのようにして断絶を乗り越え、人と人を繋ぎ直すことができるか。それは現代の課題であると共に、人類の永遠の問いでもある、のかもしれない。


 と、結果的には信者丸出しの文章になってしまった。そもそもクリア前に書くような内容じゃない感が半端無いが、ここは自由な個人ブログなので公開しておくことにする。

 もっと次元を下げて、単純にゲームとして面白いのかつまらないのか、と考えた場合、自分としては「どちらでもない」と答えたくなる。

 ストーリーや世界観等を抜きにして個々のゲーム性を見た場合、取り立てて斬新な部分はそう多くないと感じる。

 他の大作と呼ばれるゲームの多くは「自分は今すごいことをやっている」とプレイヤーに思わせる(錯覚させる)ことに重きを置いているが、本作はその真逆を行っている。ほとんど移動と運搬。ボス戦もそれほど派手ではない。

 なのに気がつけばどんどんプレイしたくなってしまう。ストーリーの続きが気になる。荷物を届けてミッションをこなしたくなる。ミュールを全滅させてトラックで資材を運び、道路を建築すると達成感に包まれる。BTを避けて慎重に進むスリル。危機をくぐり抜け休憩するサムと同調するように、プレイヤー自身の緊張も緩む。

 そんな個性的なゲームを自分はかなり好ましく感じるのだけれど、もっと派手さを求める人の意見が辛口になってしまうのも理解はできる。

 ムービーが長いのも単なる小島監督の悪癖ではなく「よくわからなさ」の演出としての意図を感じられたけど、インタラクティブ性(ボタンを押すと動くこと)こそがゲームの本質と考える人の気持ちもわかるし。

 なんにせよ今はクリアを目指したい。一体どんなものをプレイヤーである自分に向けて放り込んでくれるのか、とても楽しみだ。