年末年始は『デス・ストランディング』ばかりやっていた。おかげでブログを書く習慣が吹っ飛んでしまった。少しずつ戻していこう。
物を配達するだけで楽しい。そういうゲームだ。プレイ感覚そのものは意外と他のオープンワールドゲームに似ているんだけど、それらには無いいくつかのゲームメカニクスによって独特の面白さが生まれている。
まず配達するのに様々な手段を選ぶことができる。徒歩は時間がかかるが踏破性が高い。フローターを使うと安全に荷物を運べるがジップラインが使えなくなる。車やバイクはスピーディーに配達できるが事故の危険がある。
荷物を多く持つほど配達の難易度が上がるシステム。効率よく沢山の荷物を背負って運ぼうとすると転びやすくなってしまう。サム一人が持てる荷物には限界があり、それを超えると車やバイク、フローターが必要になる。
ルート選びも、近道だがミュールやBTがいる危険な道を選ぶか、遠回りして安全な道を行くか、個人の好みで選べる。
配達をやり込み始めると、ただ配達するだけでなく配達ルートを開拓することがプレイングの中心になっていく。国道を建設し、設備を建てる。ただ歩くだけでも歩いた跡が獣道になる。
そして開拓した配達ルートはオンラインで他のプレイヤーと共有される。世界そのものが共有されるのではなく、開拓ルートが個別にランダムに共有される緩い繋がり方なので、一人用ゲームに近い感覚で遊べる。システムのおかげで悪意のあるプレイヤーに出会うことがない。
総じて、ゲームにおける「自由度」を「様々な手段の中から自分の腕前や好みに応じて選ぶことができる」ことだと定義するなら、これほど自由度の高いゲームはそうそう無い。
そもそも文明の発展と交易は欠かせない関係にあるわけで、原始の記憶に訴えかけるプリミティブなゲームなのかもしれない。あるいはそう感じさせるほどよく出来たゲームと言うべきか。
派手なゲームとは言い難い面はある。ムービーは難解だし、配達を完了してもホログラムの住人から褒められて終わり。
しかしプレイするほどいつの間にか配達に上達している自分を発見することになる。そこに地味ながら確実な喜びを見い出せる。そんなゲームだ。