いつの間にか、ゲームは攻略するもの、もしくは対戦するものと思い込んでいた。でももちろんゲームにはそれ以外の楽しみ方もたくさんある。
いつまでも遊べるデス・ストランディング
最近、一日の終わりに『デス・ストランディング』をプレイすることが多くなった。以前ブログにも書いた。
rhbiyori.hatenadiary.jp
クリア済みのゲームをえんえん遊ぶ。そんなことをするのは人生で初めてかもしれない。昔はストーリーをクリア後もムチャクチャ長時間モンスターハンターをプレイしていたが、それも装備を作ったり勲章を集めたりという目的が一応あったが、デスストに関してはゲーム内でのクリア目標などとは関係無くやり続けることができている。
なぜクリア済みなのに遊び続けられるかというと、それも以前書いた通り、プレイすることで癒やし効果が得られるから。美しい風景とサウンドによってリラックスし、一日の疲れをリフレッシュできる、ような気がする。
自由度が高いおかげもあるだろう。歩いたり、車両を使ったり、フローターを引っ張ったり、普段とは違うルートを開拓したり。いつもより多めに荷物を持ってみたり。
ながらプレイに向いているのも良い。サブモニタでパソコンから音楽を流したり、YouTubeを見たり、ソシャゲのオート周回をしたり。
同じゲームをプレイし続ける効果
ゲームをすることは、常に新しいチャレンジでなければならない。いつの間にそう考えるようになっていた。なぜだろう? 行き過ぎた進歩主義、資本主義の影響だろうか?
そんな犯人探しは置いといて、同じゲームをプレイし続けることでしか得られない楽しさがあるのは間違いない。
やればやるほど不測の事態が減るので、ストレスが減る。ストレスが減ると、心が無になる。今流行りのマインドフルネスに近いものがあるんじゃないだろうか。本数冊読んだ程度の知識で言っていいのかわからないけども。
- 作者:川野泰周
- 発売日: 2018/04/04
- メディア: Kindle版
ゲーマーとしてのささやかな自信のようなものも得られるかもしれない。ともかくオレはゲームはやり続けているんだぞ、と。最近新しいゲームに興味が持てないという人には、昔遊んだ好きだったゲームをやってみることをオススメしたい。
あるいはいつものゲームを30分やって弾みをつけてから新しいゲームに手を出す、というのもアリかもしれない。呼び水としてのゲーム。
大げさに言えば、「これさえあればひとまず心を安らげることができる」というものがあるだけで、人生は結構生きやすくなると思う。ゲームの良いところは、誰にも迷惑をかけずに安らぎを得られることだ。
長期間プレイに向いたタイトルを考える
クリアや攻略を度外視してプレイし続けられるゲームタイトルにはどのようなものがあるだろう。思いつく限り挙げてみる。
最初に思いつくのは『Minecraft』や『どうぶつの森』、『牧場物語』のような生活要素があるゲーム。ゲームを進行させることよりも、自分なりの生活を築き上げることが目標なので、自分が満足するまでいつまでも遊んでいられる。マイクラのようなものづくり系としては『Sim City』『シムピープル(The Sims)』なども長期間プレイに向いていそうだ。
『The Elder Scrolls』や『Fallout』のようなベセスダ製オープンワールドゲームは、Mod文化が盛んであるためカスタマイズ性が他のゲームの比ではないほど高く、文字通り一生プレイし続けているようなプレイヤーもいる。
The Elder Scrolls V: Skyrim(R) - Switch
- 発売日: 2018/02/01
- メディア: Video Game
『Sid Meier’s Civilization』シリーズは、自分はやったことがないが長期間プレイし続ける人が多いと聞く。「時間を吸い取られるのでオススメしない」と言う人も多い印象だけど。
『ぷよぷよ』や『テトリス』のようなパズルゲームもハマる人が多い印象。脳の運動にもなりそうなのもいい。そういえば以前、毎日『マリオカート64』で対戦し続けている老夫婦がニュースになったことがある。また養老孟司氏はクラシカルなストラテジーゲームを毎日プレイし続けているとテレビ番組で語っていた。
automaton-media.com RTA(リアルタイムアタック)の走者たちも長期間プレイヤーの一種と見ることも出来る。競ったり腕を磨いたりしているので今回の記事の趣旨とはちょっと趣旨が外れるけど。
dic.pixiv.net
そう考えると、ほとんどあらゆるゲームが、やりようによって長期間プレイし続けるタイトルになりうるだろう。オンラインRPGでもソーシャルゲームでも、プレイスタイルによっては毎日の癒やしになりうる。
ただそういったオンラインのゲームはアップデートやコミュニケーション要素、競争要素がどうしても入り込んできてしまう。それらの影響を意図して排除しようとしても、それはそれでストレスになる。なによりサービス終了の可能性は常に付きまとう。
対してパッケージのゲームはそれらの要素が無いか、比較的少ない。ファミコンのゲームは40年近く経っても未だ現役だ。そういえば近所の個人がやってる小さな電器屋はファミコンの麻雀ゲームを今でもやっている。道から見える位置のテレビでやらなくても良いんじゃないか、と通りかかるたびに思うんだけど。
ただしオフラインのゲームですら、それがモノである以上、一生遊び続けられるとは限らない。スーパーマリオブラザーズのような歴史的作品であればその心配はかなり低くなるが、それとて絶対ではない。もしかすると既に「市販されたが、正規の手段ではプレイ不可能になったゲーム」がこの世のどこかに存在してしまっているかもしれない。そう考えると将棋やトランプのようなアナログゲームは強いな、と思う。
ただまぁ普通に遊ぶだけならそんな先のことまで考える必要はないだろう。やる前から「このゲームは一生遊べるだろうか……」などと考えるのは心配性が過ぎるというもの。やっぱりゲームに大事なのは、まず楽しむことだと思う。