rh日和(仮)

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ジョジョの奇妙な冒険 キング・クリムゾンは「物質を消し飛ばす能力」と考えるとわかりやすい説 および能力が難解な原因の考察

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 日中カフェインを摂りすぎて眠れなかったので『ジョジョの奇妙な冒険』のスタンド能力「キング・クリムゾン」について考えていた。

 能力の実態がつかみにくいとネット上でも度々話題に上がる能力。解説しているサイトなどもあるが、どれを読んでもしっくりこない。

 以下の二つの能力の複合である、と解説されることが多い。

  1. 一定時間ディアボロが無敵になる。
  2. その時間、ディアボロ以外の人間は認識を消失する。主観的には「時間が飛んだ」ように感じる。
  3. ディアボロは無敵になっている間に起こることを認識・予知できる。

 というもの。確かにこの説明で作中に起こった出来事は(後述する一部を除いて)一通り説明できる。

 しかしそれだと「時間を消し飛ばす能力」とはかけ離れ過ぎているように感じる。

 どうも腑に落ちない。しかも腑に落ちない原因もハッキリわからない。なんだかモヤモヤする。自分にとってキング・クリムゾンはそういう存在だった。じゃあここらでひとつ腰を据えて考えてみよう、と。

キング・クリムゾンの能力は「物質を消し飛ばす」である説

 で、結論から言うとキングクリムゾンの能力は時間を消し飛ばすのではなく「あらゆる物質を一時的に消し飛ばす」なのではないかと考えるに至った。

 そう考えるに至った最大の理由はディアボロのセリフにある。メタリカ戦でエアロスミスの弾丸をすり抜けて回避するシーン。

時間を0.5秒だけ吹っ飛ばした
その時間内のこの世のものは全て消し飛び
残るのは0.5秒後の「結果」だけだ
弾丸がお前に命中するという「結果」だけが残る
途中は全て消し飛んだのだ

 そう、「この世のものは全て消し飛び」とハッキリ明言しているのだ。

 別の場面、ブチャラティ戦でのディアボロのセリフ。

「キング・クリムゾン」の能力の中ではこの世の時間は消し飛び………
(中略)
「結果」だけだ!!この世に「結果だけが残る!!
時間の消し飛んだ世界では「動き」は全て無意味になるのだッ!
そして わたしだけがこの『動き』に対応できる!!
おまえがどう『動く』か全て見えるッ!
これが『キング・クリムゾン』の能力だッ!

 上記のセリフで注目したいのは「動きは無意味になる」という部分。「動きが無くなる」とは言っていないのである。

 これを「『動き』は有るが物質は消し飛んでいるのでディアボロにとって無意味」と解釈したい。すると作中の描写により説明がつく。

 すなわちキング・クリムゾンの能力は、

  • 一定空間内の物質を一定時間に消失させる
  • 物質は消失するが物質の「動き」は残る
  • ディアボロだけがその「動き」を認識および予知し、かつ「動き」に干渉されず自由に動くことができる
  • 能力解除後、物質は「動き」の結果の状態で再び出現する

 という解釈。これでディアボロ視点でキング・クリムゾンの能力が発動しているシーンに関してはほぼ過不足なく説明できるハズ。

 物質は消える。しかし物質の「動き」は残る。幽霊のように虚ろになった物体が動いている、と考えるとイメージしやすいかもしれない。

 消えた物質同士は普通に干渉する。しかしボスは消えた物質には干渉されないので実質的に無敵になる。しかもあらゆる物質の「動き」を認識し、その中を自由に動き回ることが出来る。

 そして能力が解除された時、物質は「動き」の結果の状態で再び出現する。

 これがキング・クリムゾンの能力なのではないか。

「無敵」と「物質の消失」の違いについて

 「ディアボロが無敵になる」と「あらゆる物質が消える」の違いは何か?

 少なくとも起こる現象という面での差は無いと言っていいだろう。要するにどちらも、ディアボロとディアボロ以外のものが干渉不可能になるのだから。

 しかし後者の方が「時間を消し飛ばす」という説明にふさわしいと感じるのは自分だけではないと思う。

 能力発動中はディアボロ自身も物質的に消失しているのだろうか? これに関しても、どちらでも起こる現象は同じだし、作中で明言されていないのであまり深く考える必要は無いのだろう。

 さらに「ディアボロ以外は時間が消し飛んだ間の出来事を認識出来ない」という現象も「物理的に消失していた生き物はその影響で認識が消える」と説明することができなくもない。

 ただ厳密に言えば「認識」も脳の物理現象なのだから時間が飛んでも残るハズなのではないか? という考え方もできる。

 これに関してはそもそも「認識が消し飛ぶ」という現象そのものが不可解だと言わざるを得ないので後で考察する。



 キング・クリムゾンはボスが無敵になるのではなく、あらゆる物質を一時的に消し飛ばす能力である。そう考えると「時間の消し飛ばし」が理解しやすくなる。

 しかしまだ若干わかりにくさが残る。次はその原因について考えてみる。

時間とは物理現象ではなく概念

 そもそも「時間」とは何か?それは物質の運動に伴って我々が認識している「概念」である。

 例えば太陽が東から登って落ちる。この「動き」によって我々は時間を認識する。

 時間は概念なので、物理的な実態は無い。多分、無い。今のところ見つかっていない、と思う。厳密な話をすると物理学の専門的な話になりそうで手に余るので深く考えないようにしよう。

 物質的な実態が存在しない時間。その時間を消し飛ばすとはどういう意味だろう? その曖昧さがわかりにくさの原因の一つなのではないだろうか。

 言葉の意味の通りに解釈すると、時間を消し飛ばすとは「物質の運動を無くす」ことになる。すなわち物質の停止。しかしそれでは時間の停止、つまりザ・ワールドと同じになってしまう。作中の描写にもそぐわない。

 ゆえに「物質の運動」ではなく「物質そのものの消失」が時間の消し飛ばしなのではないか、というのが今回の仮説。

 時間は概念なので「時間消し飛ばし能力」も概念的なものにならざるをえない。また時間は物理現象ではないので、同様に時間の消し飛ばしも物理現象では無い。「ボスが持つ一連の能力を強いてまとめて形容するのであれば『時間の消し飛ばし』が最も近い」というのが実情なのではないか。

2つの視点を描いたせいで2つの能力が生まれてしまった

 次に能力の範囲内にいる人間が「時間が飛んだように感じる」という描写、すなわち時間認識のスキップについて。

 ジョルノ達ギャングチーム視点のシーンを見ると「時間が消し飛ぶ能力=時間を認識できなくなる能力」という描写はすんなり理解できる。上に描いた通り、時間とは人間の認識によって生まれる概念だから。

 しかしディアボロ視点での能力発動シーンだけを抜き出して見てみるとなぜ時間が飛んだように感じるのかがよくわからない。

 なぜなら物質の動きが無くなっても結果だけが残るのであれば「起こったことを認識した」という結果が残ってもおかしくないからだ。

 上記セリフ引用の中略部分に「すべての人間はこの時間の中で動いた足跡を覚えていないッ!」という記述があるが、それは単にディアボロがそう言っているに過ぎない。

 「キング・クリムゾン発動→時間が消し飛ぶ」はわかる。単純にそういう能力だと解釈することが妥当だからだ。しかしディアボロ視点での能力描写だけを虚心に解釈しても「時間が消し飛ぶ→時間経過を認識できなくなる」は導き出されない。

 なので「時間認識のスキップ=消失」もキング・クリムゾンの能力なんだな、と解釈した方が筋が通るようになってしまっている。そしてそれは「スタンドは原則1人1能力」というルールを無断で破っているように見える。エピタフに関してはは二重人格のおかげという説明があるのに。

 事前に主人公チーム視点で時間認識のスキップを描写しているので、なんとなく納得している人も多いだろう。

 しかしそもそもディアボロ視点でのキング・クリムゾンの能力だけ見ると「時間を消し飛ばしている」という表現そのものがあまり似つかわしくない。作中の図像的な描写によると「ディアボロにまつわる物理現象の無視・移動」および「空間における動きの認識・未来予知」の能力でしかなく、どちらかというと「時間と空間の支配」と呼んだほうが近い。

 そこで作者がどのような理路で「時間認識の消失」を描いたのか想像してみる。

 おそらく最初に「時間を消し飛ばす」というスタンド能力を素朴に思い描いた時に、「時計の針がいつの間にか進んでいる」というような状況が発想されたのだろう。すなわち時間認識のスキップだ。

 それ自体は超常現象の描写としてとてもわかりやすく、映像的なインパクトもある。急に時計が進んでいたら誰だって「おかしなことが起こっている」と思う。時間とは人間の認識によって生まれる概念だ、という本質を突いてもいる。

 しかしその後で「消し飛ばした時間の中で自由に動ける能力者」としてディアボロを描こうとした時に、「一定時間ディアボロだけが物理現象を無視して動ける能力」として描かれることになった。おそらくそれ以外の描き方が無かったのだろう。

 結果、能力を受ける側の時間認識のスキップと、能力を使う側の「物理現象の無視」という2つの能力が生まれてしまった。そしてその2つをすり合わせるために「時間認識の消失」という効果が後付けされる形になった。2つの能力が十分な説明無しに1つに統合されてしまっていることが、さらなるキング・クリムゾンのわかりにくさの原因なのではないか。

「運命」というテーマ

 もう一つ、上記引用セリフの「結果が残る」という表現が不可解だ。結果とは時間と同様、人間の認識によって生じる概念である。何が過程で何が結果かを決めるのは人間の都合だ。物理的にはあらゆる物質は運動し続けていてそこに結果という区切りは存在しない。

 動きは無意味、と言いつつディアボロに不都合な物理現象だけが無効化されているようにも見える。そのせいでキング・クリムゾンの能力が「因果という概念を操作する能力」に見えてしまう

 これについては作品のテーマが関わっている。

 ジョジョの奇妙な冒険においては「運命」が重要なテーマに置かれている。

 そして特に第4部以降のラスボスである吉良吉影やプッチ神父、バレンタイン大統領などの能力は「運命を不当に捻じ曲げようとする邪悪なもの」として描かれる。その結果いずれも時間や空間を操る能力者と設定されるのだろう。

 対して主人公たちは運命に真っ向から立ち向かう覚悟=正義を有している。「運命への対峙」が「運命からの逃避」を打ち倒す。それがジョジョ流の勧善懲悪。

 ゆえにディアボロの能力は「自分の運命を覗き見て、都合の悪い部分だけを改竄する」という描かれ方をしている。

 過程を飛ばして結果だけを得ようとするのは良くない、ということを伝えんがためにこのような言い回しになったのではないだろうか。

 そしてストーリーが進むに連れてキング・クリムゾンの能力の描写が「自分に都合の悪い結果だけを消し飛ばして都合の良い結果を残している」という方向に引き寄せられてしまった。ゆえに「単なる時間操作ではない」という印象を読者に与えてしまったのではないか。

2つのシーンの矛盾

 最後に残った問題として、仮に「時間消し飛ばし=物質の消失」だったとしてもそれと大きく矛盾している描写が2か所ある。トリッシュが連れ去られる場面、およびナランチャが柵で串刺しにされるシーンだ。他のWebサイトなどでもよく言及されている。

 それ以外のシーンではキング・クリムゾンの能力発動中、ディアボロは自身以外の物質に干渉できないと描写されている。だからこそディアボロは「能力が解除された瞬間に不意打ちする」という戦法をとらざるを得ないのだ。

 しかしこの2つのシーンでは明らかに能力発動中にトリッシュおよびナランチャの体を動かしたとしか考えられない。

 先に結論を言えばこれらに関しては作者が深く考えずに描いてしまっただけなのではないか、と考えている。

 その根拠として、まずいずれも能力発動中のディアボロ視点での描写が全くされていない。前者はディアボロの能力が読者に対して明かされる前だった、後者はディアボロの魂の所在を読者に対して隠す必要があった、という事情があるにはある。

 しかしキング・クリムゾンの描写がより強化されたアニメ版でも補足などは無かった(ハズ)。後者に関しては補足があってもおかしくないのに。それはディアボロ視点で描写すると明らかな矛盾が生じてしまうからではないか。

 そしてその矛盾は上に書いたように「ディアボロ視点の能力描写」と「ディアボロ以外の視点の能力描写」が微妙に食い違っていることに起因していると言える。

 またもし何らかの方法でディアボロが能力発動中に他の物質に干渉する手段があるのであれば、それをバトル中に活用する描写があってもおかしくない。実際にはせいぜい「血の目潰し」くらいしか利用していない。

 そしてなにより2つのシーンはいずれも第3部でポルナレフがDIOに階段を降ろされたシーンやヌケサクがバラバラにされたシーンと似通っている。つまりやっていることがほとんど時間停止そのものなのだ。

 ディアボロの能力が時間停止ではないことを強調したいのであればこのような描写は意図的に避けるハズ。しかし作者はそれよりも「全く気づかないうちに物が動かされている」というホラー描写を優先したのではないだろうか。

 ジョジョにおいてはスタンド能力が特に説明もなく変化するケースが前例として多数存在している。設定の一貫性よりもシーンの面白さを重視したのだろう。個人的にはそれで全然構わないと思っている。

「血の目潰し」の違和感

 ディアボロがジョルノに対して行った「血の目潰し」攻撃も微妙に気になるポイント。

 血液はディアボロの身体から離れた瞬間にディアボロ以外の物質と同様に振る舞い始める、と考えれば設定上の矛盾は無いと言って良い。

 ただそれが出来るのであれば、あらかじめナイフなどを持ち歩いておき、能力発動中に相手に投げつければいいのではないか、などと考えてしまう。

 流石に3部DIOのナイフ投げと全く構図になってしまうので避けたのだろうか。血の目潰しもDIOが使ってるけど。

まとめ

 「キング・クリムゾンは時間ではなく物質を消し飛ばしているのではないか」という仮説を思いつき書き始めたこの記事。

 しかし書き終わってみるとむしろ「なぜキングクリムゾンの描写が難解なのか」について考えた部分の方が大事な気がしてきた。

 そもそも時間が人間の認識によって生まれる概念であるけっこう難解な概念であること。

 認識上の時間消し飛ばし(「時間認識がスキップされる」という主人公チームの描写)と物質的な時間消し飛ばし(「物理現象を無視する」というディアボロ視点の描写)の2つを描写したために無理が生じたこと。

 時間の消し飛ばしを「運命を捻じ曲げようとする悪」というテーマに引き寄せようとしたこと。

 能力の一貫性よりもシーンの面白さを重視したこと。

 これらがキング・クリムゾンの能力が難解になった原因なのではないだろうか。