rh日和(仮)

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『Ghost of Tsushima』トロフィーコンプリート 誉プレイをしたらモヤモヤが残った話

 『Ghost of Tsushima』のストーリーを全てクリアし、本編およびDLCのトロフィーをコンプリートした。プレイ期間はかなり集中的にやりこんでちょうど1週間だった。

 2周目と冥人奇譚をやるかどうかは未定。ひとまず花集めをしてから考えたいと思う。



 GOTYノミネートのゲームにこれを言うのはもう当たり前すぎてなんだか恥ずかしいのだけれど、とにかくむちゃくちゃクオリティの高いゲームだった。

 特に景観は素晴らしく、自分史上の「最もスクショを撮ったゲーム」を更新した。なにせどこを撮っても絵になる。ゲームが進まなくなるので途中からセーブしたほど。アクションやストーリーの出来も言わずもがな。

 しかしクリア後には心になにかモヤモヤが残った。

 ストーリーの内容に対してではない。たしかに明るいエンディングではなかったが、それも込みで余韻の残るいいエンディングだったと思う。

 自分がモヤモヤしているのはどちらかというとゲームプレイの部分。正直に言うと、100%楽しめたという感触ではなかった。なぜだろう。

 その一番の理由は「気持ちよくステルスプレイできない」ことではないか、という仮説を立ててみる。



 なにせ主人公の仁は闇討ちをやりたがらない。闇討ちをすると「これも蒙古を倒すため」などと自分に言い聞かせる。彼も元々は志村と同じく誉を重んじる武士(もののふ)だったので。

 なので自分は仁の意志を汲み、最初のイベント以降は本編クリアまでほぼ闇討ちを封印してプレイした。暗器も使わなかった。うっかり操作ミスで闇討ちしてしまった時は、わざわざ「チェックポイントに戻る」でやり直した。

 実はこのゲーム、R1ボタンの闇討ちを使わなくてもクリアできるようにできている。敵にバレたくないときは後ろから溜め強攻撃などで他の敵に気づかれる前に倒せば、ゲーム内部的にはおそらく闇討ち扱いにはならず先に進める。突きでぶっ刺したり高台から蹴り落とす形になるので、見た目は完全に闇討ちだけど。

 それ以外のステルスが必要ない場面は全て正面からの戦闘で敵を倒した。最序盤以外は難易度「難しい」でプレイしたが、それで正面突破できない場面はなかった。

 一騎打ちできない場面でもわざわざ敵の前に身体を晒してから戦闘を開始。っていうか一騎打ちは時間がかかるので途中からやらなくなった。弓で敵を倒す時も、まず敵がこちらを視認してから撃ち返した。



 で、そんな「誉プレイ」をしてゲームが楽しかったかというと、これが正直あまり楽しくなかった。敵に見つかった瞬間にゲーム側のサウンドやエフェクトが「ミス」を演出するので敵と戦うたびに失敗しているような気分になった。

 このゲームの戦闘は1対多数の戦闘だと厳しくなるような戦闘バランスになっていて、だからこそステルスプレイで敵の数を減らすのがこのゲームのセオリーなのだけれど、その対多数の戦闘は正直あまり爽快感がない。

 一人の敵の攻撃を弾きや回避でいなしても、別の敵が妨害くるため攻撃チャンスが生まれにくく、ストレスが溜まる。剛兵が2人いるだけで対処が非常に面倒。弓兵のインターセプトはもはや芸術的。

 より安全に対多数戦闘をするためには、走り回って足の遅い敵を引き離したり、弓兵を先に片付ける必要がある。

 そういう見方によってはやや卑怯な戦い方をしてると、「わざわざ闇討ちを封印する必要があるのか?」という気分になってくる。

 でも闇討ちすると仁くんが闇落ちするし……(激寒ギャグ)。志村おじも怒るし……。



 それだけ闇討ち封印プレイを徹底しても、強制的にイベント上で闇討ちをさせられることがあり、完全に誉プレイを徹底することはできない。最初の救出イベントの他、志村救出時に障子越しの闇討ちを習得する場面(ちなみのその次のシーンではちゃんと障子を開けて敵に見つかってから倒した)と、志村が毒の吹き矢を初めて使う場面がそれに当たる。

 プレイヤーに誉の是非を問うゲームなのであれば、プレイヤーにステルスと非ステルスを選ばせるようなゲーム性にして欲しかった。し、なんならそれでエンディングが分岐して欲しかった。2015年頃に出た某人気インディーRPGのように。

 逆に「誉を捨てざるを得ない仁の苦しみ」を描きたかったのであれば、どうしてもステルスしないとクリアできないゲーム性にしたほうがよかったのではないか。初期のメタルギアソリッドのように敵をめちゃくちゃ強くするとか。

 別に僕が個人的に誉を重んじているとかそういう話ではない。つーか現代日本にそんな人いる? 単にもっと気持ちよくステルスプレイさせて欲しかっただけで。そのためなら進んで誉を捨てたかったまである。

 ゲーム側がプレイヤーに誉を捨てさせたいのは明らかである。つまり主人公がやりたくないことをプレイヤーとしてやらされたのが「嫌な感じ」の原因だと思われる。



 あえて主人公とプレイヤーが「やりたくないこと」をやらせることで没入感を高める、という手法は様々なゲームで効果的に使われてきた。しかしそれも重要なイベントでピンポイントでやるならいいのかもしれないが、ツシマに関してはゲーム全体でそれをやらされていたような感じがあった。

 しかしその点がゲームとしての瑕疵かというとおそらくそんなことはなく、なぜならそもそも殺し合いをしているのに誉って何? という志村の矛盾がこのゲームのストーリー的なテーマであり、それをゲームシステム的に表現することには成功しているから。

 要するに、モヤモヤすることを含めてこのゲームのゲーム体験なのではないか、と今は考えている。それが自分には合わなかったのだろう。

 そもそも志村も状況によって多少汚い手段は取っているわけで「原理原則にとらわれず状況に応じて判断しろ」というのがこのゲームの裏のテーマなのかもしれない。


 DLCの壱岐編では弓での狙撃を解禁したが、実に楽しかった。圧倒的有利な状況で一方的に攻める喜び。誉は壱岐で死にました。

 もし2周目をプレイすることがあれば、仁くんの気持ちはガン無視して闇討ちしまくりでプレイしてみたい。闇討ちするほど志村おじがブチギレて顔真っ赤になるとかだったら面白かったかもなぁ、などとどうでもいいことを考えている。

【PS5】Ghost of Tsushima Director's Cut

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