今週のお題
我が半生における習い事遍歴を掘り返してみれば、スウィミング、及び○学館の英語教室。あと幼稚園でお茶教室があった。
習い事。ステキな響きである。人々は日々習い事に通い、これを習う。誠にもって喜ばしいことである。
であるが、何となく引っかかるのは、習い事、というと、どこか本気度が低いような、王侯貴族が乗馬を嗜んでいるような、そんな響きも感ぜられる。
習い事には実益系と教養系の二つの系が存在して、珠算などは実益系、華道などは教養系、水泳や英会話などは、その両方の属性を併せ持っているのではないか。これは僕の仮説。
などと思いついたことをそのまま書いてみたが、お題はやってみたい習い事である。僕の、僕自身の意見を書かねばならぬ。うむむん。
僕もそこそこいい年になったからには、教養、というものを身につけたい。
教養。植物が栄養を吸って生長するように、人は教養によってその人生を豊かなものとする。
しかし、教養の難しいところは、あまり実利に偏りすぎては、この資本主義社会にあっては、全てがお金儲けに収れんされてしまう危険がある。
皆がお金を追求する。そのような一極集中的なものの正反対に、教養というものは存在すべきである。
かといって、資本主義に回収されずに教養というものを得ようとするのはなかなか難しい。
そこで思いついたのは、オタクカルチャー。オタク文化は今や教養になりつつあるし、オタクの情熱は反資本主義的たりうる可能性を秘めている。
では現在私が興味あるオタク的なものはなんであるかというと、TVゲーム。特に格闘ゲーム。
ここ十数年来、格ゲーはゲーセンでやるものと相場が決まっていたが、オタクのハイカルチャー化に伴い、生け花教室のノリで格ゲー教室が誕生するかもしれない。上品なマダムがブランカのジャンプ軌道について話し合ったりするのである。
というか僕が作ってしまえばいいのだ。もちろん、お金はギリギリやっていけるだけの月謝しか貰わない。完璧だ。
でも、そんな資本も情熱も僕は持ちあわせていないから、このアイデアを実現化してくれる人を求めます。あ、もちろんアイデア料は頂きます。5割で。
というような妄想で一時間つぶせる僕には、習い事は必要ないのかもしれない。