今日は私が以下に自意識過剰であるかと言うことをお伝えすべく筆を執ってみる。って筆じゃないよ。キーボードを叩いてるんだよ。まったく。そういう表現の瑕疵があるようだから僕はいつまで経っても盆暗、盆田暗之介なのであるよ。ほんと、参るよ。
ではなぜ私がそんな日記を書くかという話になるが、っていうか、そんな話になる時点で自意識過剰の兆候が見られる。
というのは、なぜこれこれをするのか、ということについていちいちカッキリコッキリ決めなければならないと思っている。思い込んでいる。そしてそれを伝えなければならないと考えている。それが自意識。と言うものである。まったくもって。マッタク・モッテー(2001〜2319、パラグアイ)今日は人名がマイブーム。
大概に於いて、わたくしのような自意識過剰者にとって大いなる障壁となるのが、この、なぜこれこれをするのか、という問題である。そんな事を考え出したら、思考のループにばまりこんでしまうに決まっとる。
そもそも人間は、常にその場の状況に対して、時に臨機応変に、時にテキトーに、判断しながら生きているに過ぎない。なぜ今私が鼻の頭を擦ったか、なぜ今日私がギターを弾いたか、なぜ一昨日私がジャーマンスープレックスで3カウントをとったか、なぜ去年私がフィリッポ・インザーギに決闘を申し込んだか、つーかなぜ今私は嘘ばっかし書いちゃうのか、まぁそれは僕の妄想癖なんだけど、ともかくそういった諸々について、僕は常にその理由を言明することは出来ない。言明しようとしたら僕は一分一秒の理由探しに追われなければならないから。
にも関わらず、奴らはその軽々しい口調で、理由だの動機だのを聞いてくる。そして自意識過剰な僕はそこで思考停止に陥ってしまうのだ。奴らって誰?えーっと、メトロン星人かな。
そらぁ、向こうだって、そんな大層な理由なんか求めちゃいない。その辺を見極めるのが大人というものである。
わかってる。そんな事はわかってるのだよ。私は。私こと板東英二は。なぜ嘘をつく。俺は。
問題はそこんとこの見極めなのだよ。相手が何を求めていて、僕が何を持っていて、そうして僕は何をすべきなのか。そこんところに僕の場合、余計なもの、過剰なものが常に入り込んで玉石混淆になって、どうすべきかわからない。思考停止。機能停止。みたいな事になるんだよ僕の場合僕の場合僕の場合。
そしてそんな余計なもの不必要なもの他人と混じり合えないものをいっぱい持っている故に僕は孤独なのだよ。ナノダーヨ14世。年号考えるのめんどくせぇ。
だってだって余計なものは過剰すぎて他人との交換に使えないんだもの。それを取り出そうとすると、また別の余計なものがやってきて、そうするとそれをまた見極める作業に入らなければならない。じゃない?ジャナイ共和国。
どうしたらいいんだろう。だって僕には何をどうしたいのか判断する基準がないんだもの。僕が何をどうしたいかっていう問題は必ずしも重要じゃないっていうか、そんな物は思い込みっていうか民俗誌的奇習に過ぎないんだけど、でもみんなはそれぞれ自分の身の丈に合った自分にとって都合のよい社会にとって都合のいい、何をどうしたいかを持っている。僕は持っていない。持っていない、それは俺。
なんつってそんな事を考えること自体が無駄なんだよ。でも僕は無駄なもんばっかり持っていて大事な物を何一つ持っていないんじゃないかって思うんだよ。寂しいんだよ。侘びしいんだよ。もしかしてみんなもそんな物を持て余してるんじゃないかなって思うんだけど、どうなんだろ。