思考だだ漏れノートG

モノ、ゲーム、PCなどについてのブログ。

希望について

人が雄弁に語るために最も必要なもの。
それは高度な弁論術などではなく、聞き手の存在だ。
芸術も娯楽も武道も、受け手の存在が無ければ成立しえない。
逆説を言ってるわけではない。
例えば、僕が日記を書いているのは、それを読んでくれる人がいるからに他ならない。
では、日記を書くことによって僕は一体何を伝えようとしているのか。
それは僕にはわからない。
そういうものらしい。
何かを伝えようとする人間は、自分が本当に伝えようとしていることを知ることは出来ない。
例えば会話の場合、多くの人は、「次に自分が何を言うのか」をわからずにしゃべっている。
それでも会話は成立する。
なぜなら、相手が聞いてくれていることを、お互いにわかっているから。
重要なのは本当に聞いて理解しているかどうかではない。
この人は私が言ったことをちゃんと理解してくれているに違いない、という感触だ。
それは希望と言い替えてもいいし、勘違いと呼んでも差し支えはない。
ともあれ、希望を持てない人、つまり絶望した人は口をつぐむしかない。
この人にこんなことを言っても理解出来ないんだろうな、という絶望、孤独。
なぜ人は絶望するのか。それは多分誰にもわからない。
でも、生きるためには希望を持たなければいけない。
道徳とか倫理とか法律とか、それ以前の問題だ。
希望がなければ、心がうまく機能しない。
希望を持つためには、伝えるための努力をし続けなければならない。
たとえ何回絶望し続けるとしても。