もう色んな事がどうでもよくなってきた。
今までムリして頑張ってきたけど、ムリしても何の意味もないんじゃないかって思うようになってきた。
誰のために頑張るんだろう。何のためにムリをしてきたんだろう。僕は誰なんだろう。
色んな本を読んできた。その本の中で何人かの人は、僕が人生で感じてきたことを完璧に文章にしていた。
だけど、僕の人生を、僕が今までやってきたことを、僕は完璧に文章にすることは出来ない。
なぜだろう。
でもそれは、当たり前の事かもしれない。
僕の人生そのものには、何らの統一的な意味など存在し得ない。
かのイエス・キリストは、その人生全てが、神への贖罪であったという。
でも、そんな事はあり得ない。
そんな風に僕の人生を説明することは出来ない。
僕の人生のあらゆる局面で起こった出来事を、一つの言語的集合に納めることは出来ない。
僕の人生は、常に無限の解釈可能性を持っている。
明日の不幸が、明後日の幸せになるかもしれない。
解釈とは、単なる言葉遊びであるかもしれない。
だからこそ、僕は無限の解釈を日々積み重ねていくのかもしれない。
そのような、開放的な事象にこそ、僕は興味がある。
わかったような顔はしたくない。
嘘で人を傷つけるような人間にはなりたくない。
誰だってなりたくないのに。
面白い文章は、どうやったら書けるんだろう。
生きていたら、書けるんだろう。
2010/10/16追記:なんとなくタイトルに使っただけで、僕とセプテンバー兄さんにはなんらの関係もございません。ごめんなさい。