馬鹿らしいことってなんだろう。バカってなんでしょう。
かつてさる脳科学者が「バカズ・ウォール」みたいな著書で大ヒットを飛ばした。ぼかぁそれを読んでない。何故かといえば興味がなかったから。
なんでその本がそんなに売れたかといえば、もちろん高名な学者様の叡智にあずかろうという、勉強家の方々が日本に多数存在したからなのだろうかれど、ぼかぁそれだけじゃあないと思うんだな、うん。
ある種の人々は、自分がおバカなのではないか、ド低脳もといクサレ脳みそなのではないか、という不安を抱いている。だからタイトルにバカと書かれていると、普段からバカを気にしているものだから、ついつい条件反射的に手にとってしまう。
なになに、著者はエライ脳の先生なのか。ということは、この本にはバカの生態についてつぶさに叙述してあるのかもしれぬ。すなわちこれを読んで他山の石とし、己の生活を改めれば、もってノットバカ人間として日々を暮らせるのではないだろうか。おっほー。もしくは、やっはー。
いや、しかし、それはこの大先生の謀略であり、センセーショナルなタイトルで大量のバカを謀って、その大金でモナコに超絶ゴージャスハウスをぶっ建て、一生遊んで暮らすという魂胆なのではなかろうか。むむむむむ。
ここで重要なポイントとなるのは、はたと手にとったその人に、大いなる疑問を持たせるタイトルである、という点なのではないかと思う。というのも、例えば「読むと絶対幸せになれる!」という本があったとして、実際にそれを買うバカは世の中にそんなに多くない。
しかしこれが「バカの壁」である。なんだそれは。全く意味がわからない。「バカ」という抽象概念と「壁」という現実存在の組み合わせ。謎である。気になる。スゲー気になる。読んでみたい。
と、書いているうちに自分もどんどん読んでみたくなってしまうのでやめるけれど、いいタイトル、いいキャッチフレーズっていうのはそういうものなのではないかと思う。
人が節分の豆を食べ過ぎてしまうのは、それが美味すぎず不味すぎずなので、果たして本当は美味いのか不味いのかを確認したくなるからだ、と書いてあるのを以前読んだことがあるが、それと似ているような気がする。
で、なぜそんなことを滔々と書いてきたかと言うと、まぁほとんどが書きながら思いついたことなんだけれど、なぜわざわざ思いついたことをつらつらと書き連ねてきたかと言うと、どんなにくだらない思いつきであっても、それを突き詰めることは一種の思考実験であり、高度な精神作業である、と、町田康「夫婦茶碗」のあとがきで筒井康隆が書いていたからであーる。あーるってなんだよ、偉そうに。
人が考えることはその全てが役に立つこと・理にかなっていることであるとは限らず、むしろそのほとんどが愚にもつかぬ妄想・忘れてしまいたいような欲望、だったりするわけで、まぁ、私のような愚昧はね、そういったものを文章にして、ネットの海にする投擲する、それくらいしかできんのですよ。ほんと無力。