rh日和(仮)

モノ、ゲーム、PCなどについてのブログ。

『アマガミ』の素晴らしさについて2019年に語りたかった男の記録

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 アマガミの素晴らしさについて書こうとした。

 恋愛シミュレーションゲーム『アマガミ』。なぜ2019年にこのゲームにハマったか、に関しては以前の記事に書いた。

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 でもその素晴らしさについて上手く書くことが出来ずにいた。

 僕のように文章を書くことを習慣にしている人間が、本当に好きなものについて書こうとすると、どうしても立ち止まらざるを得なくなってしまうことがある。

 書きたいことがいっぱいあって、どういった順番で書いていいか、どのように組み立てれば良いのか、わからなくなってしまう。

 あるいは書くことによって失われてしまうニュアンス、更にコミュニケーションが持つ不完全性などなどに思いが至るに連れ、自分の思いを自分の中だけに留めておきたくなってしまう。

 そうしたところで特に誰に損が及ぶわけでもない。

 でも自分は良いと思ったことに関してはなるべく文章にして残すことを己に課すことにしている。

 だから書く。俺は。アマガミのことを。

 何だその宣言は。まぁよくわからないけどとにかく書くのである。


 アマガミの良さについて書きたい、のだけれど、自分はこれ以外の恋愛シミュレーションゲームをプレイしたことがない。

 なので困ったことに、他と比較してどこが優れている、と言うことが出来なかったりする。そのような事情を汲んで読んでいただけると助かる。


 アマガミの優れたところ。

 ヒロインとの心ときめくようなイベント。もちろんそれが「売り」である。だってギャルゲーだからね。

 「いや、ただのスケベじゃん」と感じるシーンもある。もちろんたくさんある。だってギャルゲーだからね。

 そういったギャルゲーらしさの部分に関して、ギャルゲーに明るくない自分が書いてもあまり意味がない気がするので他に譲りたいと思う。


 その上でアマガミの優れたところを挙げるとすれば、まずストーリーが「いい話」なこと。

 より具体的に言えば「人と人が仲良くなる話」と「人が成長する話」がストーリーの基調になっており、それらが嫌味なく絶妙に配置されていること。

 この2つはあらゆるエンタメ作品のストーリーを推進する重要なファクターでもある。だから読んでいて楽しいし心地いい。

 トキメキシーンやお色気シーンも、それらが「主人公とヒロインが仲良くなる話」や「主人公またはヒロイン、もしくは両者が成長する話」として成り立っているおかげで、ある種の清涼な読後感を与えてくれる。


 はっきし言ってプレイするまでは、ギャルゲーのストーリーにそれほど期待していなかった。

 でも実際やってみたら、成長譚や交流譚として思いの外キッチリと起承転結ができていた。

 「もうちょっとこうしたらいいんじゃないの」と思うところも少しはあったけど、明確なツッコミどころはほぼ無かったと思う。

 派生作品やオマケ要素で補完された物語要素もある。

 一例として、主人公にはお宝本(グラビア写真集などを指す作中用語)を学校内の隠し部屋に大量に溜め込んでいるという、冷静に考えるとかなり危険人物になりかねない設定があったりする。

 アニメではその設定はおそらく完全にオミットされている(はず)。

 また本編と同時収録されているミニゲーム「ぬくぬくまーじゃん」の中のストーリーでは、お宝本および隠し部屋についての解決・オチがついており、それが主人公の成長として描かれている。

 このシーンは単純にストーリーとして素晴らしいが、さらに言うと「お宝本についてちゃんとしたオチが必要だな」ということに製作者がちゃんと気づいてフォローを入れたことそのものが、物語の作り手の心配りとして素晴らしいと思う。


 成長。交流。それらがアマガミというゲームの、そして恋愛そのものの陽の面だとするならば、隠の面、すなわち恋愛の辛味や苦味までをも含んでいるのがアマガミの凄さ。

 そもそもアマガミというゲーム自体、「スキBAD」というバッドエンディングルートを描きたい、という動機によって作られたものらしい。

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 「スキBAD」ルートに至るためには、2人のヒロインと同時にクリスマスデートの約束をし、片方のヒロインとデートした後で、「デートをすっぽかした方のヒロイン」に告白する、という手順を踏む必要がある。

 わざわざダブルブッキングをしておいて、約束を反故にしたヒロインに告白する。ゲームのプレイスタイルとしてもそうだが、それ以前に作中人物である主人公の行動として見ても非常に不自然だ。単に忘れっぽいというレベルを超えている。

 しかしスキBADルートで自分を裏切った主人公に対するヒロインそれぞれの行動が、ある意味でヒロインそれぞれの個性を最も鮮明に活写している

 ある者は主人公を許し、ある者は主人公から遠ざかり、ある者は時を経て主人公に復讐し、そしてある者は永遠に心を閉ざしてしまう。プレイヤー間では「鬱イベント」と呼ばれることもあるが、スキBADこそが本作の人間描写に深みを与えているのは間違いない。

 もうひとつ、本作の苦味を象徴する要素として「主人公と出会わない方がヒロインは上手くいくんじゃないか問題」がある。

 例えばあるヒロインは、主人公と親密にならない「ソエンルート」においてアイドルとしてデビューすることになる。

 他のヒロインも、主人公と結ばれないソエンルートやバッドエンドにおいて何かしらの自己実現をするか、あるいは主人公と結ばれるルートにおいて何かしらの問題を抱え込む、というストーリーが用意されている。

 「愛は惜しみなく奪う」と言ったのが誰だかよく知らないが、恋愛が持つ推進力は時に否応なくなにかを破壊してしまう。そんな恋愛の苦味を行間に匂わせている。そしてその企みは見事に成功している。

 陰の部分はあくまでも陰であって、基本的にアマガミは陽のゲームである。ヒロインとのイチャイチャやドッキリイベントを楽しむことが主眼に置かれている。しかし影があるからこそ光が輝く。あえて裏側を描くことで世界観とキャラクターに奥行きが出ているのである。まるで絢辻さんのように。


 そんな立体的な物語に加え、素晴らしいアートワーク、素晴らしいサウンドと声優の演技、それらの要素がっちりと組み合わさってひとつの小宇宙を作り上げている。それがアマガミという歴史的名作なのである。うん、大仰なのはわかってる。でも言い過ぎとは思わない。

 発売から10年周年を迎えた(ことにプレイし始めてから気づいた)アマガミ。今後新たな展開があり得るだろうか。

 色々なパターンを脳内シミュレーションしてみたが現実的な案がちょっと思い浮かばない。続編。リメイク。リブート。どれも色々と壁がある。

 ストーリーが良いからいっそ絢辻詞編あたりを実写化してみるのどうだろう、と考えたが、ゲーム・アニメファン向けなのか、恋愛ドラマ好きの女子学生向けなのか、どっちつかずになってしまいそうな懸念がある。

 と、そんな風に気がつけばアマガミのことばかり考えてしまう。2019年に。そのくらいアマガミは素晴らしい。そのことだけは覚えて帰っていただきたい。なぜか舞台芸人みたいになったところで今日の記事は終わり。