『グランブルーファンタジー』の話。今回のストーリー「貫くべき志が紡ぐ義侠の唄」も読み応えがあった。ここのストーリーイベントはどれもクオリティが高い。単なる素人の印象だが、ストーリー構築のセオリー的なものを外していない気がする。
しかし何かが物足りない。その理由について考える内に、「ファンタジー」が足りないんじゃないかと考えるに至った。
なにも「ゲームタイトルにファンタジーが入っているのに(他の作品で扱われるような)ファンタジー要素が無いとダメだ」などと教条的なことを言いたいわけじゃない。
グラブルはグラブル独自のファンタジーをやればいい。
しかしその「グラブル独自のファンタジー要素」が不足しているんじゃないか。
初期のグラブルのストーリーは、その大半が「星晶獣が暴走しているので鎮めに行く」という定型に則っていた。
悪く言えばワンパターンではあったが、神話的でわかりやすくもあり、水戸黄門的な安心感もあってそれはそれで良い面もあったと思う。
毎月ストイベを作り続ける以上、同じパターンを使い続けるのにも無理があったのだろう。そこそこ早い段階で「星晶獣鎮め」パターンは少なくなり、星晶獣がほぼ登場しないお話も増えていった。
なお星晶獣が出ないにも関わらずイベント召喚石を配布する縛り、あるいはお約束は残ったためか、後期になるほど人や物など変な召喚石が増えていき、最終的に配布召喚石自体が廃止された。その最たる例が「結婚式」だろう。「結婚式を召喚」って何やねん。
もし「召喚石が無くなったからストーリーに星晶獣を出しにくくなった」のであれば本末転倒。流石にそれは無いと思うけれど。
しかしたとえ星晶獣が登場しなくても、ストイベはグラブルならではの世界観を表現するものであって欲しい。そうでなければ「その話、グラブルでやる意味無くね?」となってしまいかねない。
なぜならファンタジーRPGの主役は、半分くらいは「その作品ならではの世界観」だからではないか。
試しに「面白かったファンタジーRPG」を思い出してみて欲しい。自然あふれる世界であれ、退廃的な世界であれ、その魅力の一定程度はその作品ならではの場所、人、物にあったと感じるはず。
グラブルのイベントのうち、シリアス系で評価が高いものは、世界観を深く掘り下げるようなストーリーが多い。「どうして空は蒼いのか」シリーズや「STAY MOON」など。というかいわゆる周年イベントの多くが世界観の掘り下げに力を入れている。もちろん他にもストーリーの人気の要因はたくさんあるけれど。
余談だがどう空シリーズで「星晶獣は古代人である星の民が生み出した魔法兵器」という設定が出たことで神様的な扱いが少なくなったことが、「星晶獣鎮め」パターンが減った要因の一つかもしれない。
いや、もしグラブル運営が意図的な方針変換をしようとしているのであればそれはそれで構わない。例えば「今後は複雑な人間関係にめちゃくちゃフォーカスしたお話を作ります」というのであれば自由にやればいいと思う。客層は入れ替わるだろうけど。
そういう方針が無いのであれば、グラブルのストーリーは「グラブル世界を知ることができる」という要素を何かしら入れて欲しい。
そのような観点で見ると現行のイベントはグラブルならではのファンタジー要素がかなり薄かったように感じる。
一応「使い手の意志に呼応する剣」が登場したが、その来歴などが語られることは特に無く、ただよくある主人公(ユイシス)のパワーアップ展開に使われただけだった。
特に良くなかったのはルリア(とビィ)が足手まとい扱いされたこと。物語上の役割を持たせるにはそれしか無かったのかもしれないが、今回の物語の「ファンタジーおざなり」を象徴するシーンになってしまっていたと感じた。一応フォロー的に活躍シーンもあったが、とってつけた感は否めない。そこまで邪魔だったのであれば船で待機してもらったほうがまだ良かった。
グラブルで任侠物をやろうという試み自体は成功していたと思う。メンツにこだわりすぎて無駄な暴力が連鎖していくあたりがいかにもだった。ただそこにグラブルらしさが薄く、そこはかとなく「これグラブルでやらなくても良くね」感を感じてしまった。あと団長とユイシスのイチャイチャシーンもわざとらしさがあった。
グラブルで〇〇ものをやりたい、という発想自体は良い。むしろ好き。でもそこにグラブルらしさが無いとあんまり意味が無いかもしれない、というのが今回の記事の今のところの仮説。
それはそれとしてエイレアさん可愛いので是非実装してくださいお願いします。