格闘ゲームは良い。やればやるほど上達を感じられる。リアルタイムでの1対1のじっくりしたやりとりは、他のゲームではなかなか味わえない。
でも負けるとムカつく。
自分は10年以上、主にオンライン対戦をやっているが、何年やっても怒るときは怒る。
なので決して負けてムカついたから自分は格闘ゲームに向いていないわけではない。それで辞めてしまうのはむしろもったいない。
なぜなら怒りの対処法すら学ぶことが出来るのが、格闘ゲーム、というか対戦ゲームの美点だからから。ものすごくポジティブに言えば、だけど。
なぜ格ゲーで負けて怒りが生じるのか?
自分が考えるそのメカニズム自体は単純で、画面上で何が起こっているのかわからず思い通りにいかないから。
人はものごとが自分の思い通りにいかないと怒りを抱く生き物。
例えば道端で知らない人にひっぱたかれたら、まずは戸惑うかもしれないが、そのうち誰だって怒りがこみ上げてくる。むしろそれが人として正常な反応。
よほどの聖人でない限り、こみ上げる怒りそのものを抑えることはできないだろう。
またどうやら、人はなにかに集中している時ほど感情が表に出やすくなるようだ。
プロスポーツ選手が試合中にブチ切れたり、普段は温厚な人が車を運転すると性格が変わってしまい、ひどい時はあおり運転という犯罪行為に及んでしまうのも、素早い状況変化に対応すべく、精神が特殊な状態に入り込んでいるかららしい。
まさに格闘ゲームで対戦しているときもそれに当てはまる。
対戦相手の連携がわからない。どうすれば返せるのかわからない。そもそも相手に全く触れない。
で、怒りで自分の操作も覚束なくなり、選択肢も単純になって、完敗してしまう。
そういう状態をポーカーの用語では「ティルト」と呼ぶという。元々、精神的な動揺により、冷静な判断ができない状態。
そんな時はなるべく一度ゲームから離れた方がいい。平常でない時に対戦しても得られるものはとても少ないから。
しかし怒りには悔しさが伴うので、どうしても勝ちたくなり、対戦を続けてしまう。そして思い通りに動けず負ける。また怒る。という負のループに陥ってしまう。
特に家庭用でのオンライン対戦は止めるキッカケが無く、延々と続けてしまいがちなのもよろしくない。
自分が考える、負のループから抜け出す第一歩は「自分は今怒りで我を失っており、だから勝てないのであって、ゲームが下手なわけでは無い」ということを認識すること。
いきなり仏教の話をすると、煩悩を消す方法として「諦める」べし、とされている。
ここで言う「諦める」は普段使っている「何かを追いかけることをやめる」という意味とは違う。
仏教における「諦」とは「あきらかにする」、つまり事実を知ることを意味する。
自分自身に何が起こっているかを理解すること。それによって自然に怒りという煩悩が、炎を消すように消えていく。
と、わざわざ仏教を引き合いに出して小難しく言ってみたけれど要するに、怒りで我を忘れている時はまず我を取り戻そう、という単純にして難しい話である。
上手く怒りが収まったら、なぜ負けたのか、その原因をトレモやリプレイで研究できるとなおよい。
相手のこの動きはこういう理屈なんだな、ということがわかれば、理不尽に負けたという感覚は薄くなる。
自分の経験上、そのゲームで上達するほど怒りが湧いてくることは少なくなる。
その代わり萎えやすくなるという弊害が無いではないけど。
要点をまとめると、
- 怒りが生じるのは、思い通りにいかない時や、なぜ負けているかわからない時、
- 怒るとパフォーマンスが下がることを認識し、一旦怒りが冷めるのを待つ
- 落ち着いたら負けた原因を分析する
というのが自分の考える怒りのメカニズムとその対処法。それができれば苦労はない、と思うだろう。自分もそう思う。
究極の方法はゲーム自体をやめること、なんだけど、それでは元も子もない。そしてやめてもいずれまたやりたくなるのが対戦ゲームの恐ろしさ。どうにか怒りと上手く付き合っていきたいものである。